1/25/2009

城間栄順作の紅型に出会って

紅型は沖縄の染物。
戸外的でおおらかな色彩が特徴です。
400年前の尚親王の代に完成され、王宮の風俗として発展してきたもので、宮廷画家たちが琉球の花鳥風月を描き、それを民間に命じて、着尺にそめさせたことにはじまりました。

この写真の紅型の着物は、城間栄順作の訪問着です。
呉服屋さんで絵羽になっているのを見たときから鮮烈な印象を持ちました。実は、それまで紅型をあまり知りませんでした。この着物の美しさに、紅型のことを調べ始めました。そして、着物の作家の城間家が紅型の宗家であること、栄順さんの父、城間栄喜さんが、二次大戦後の廃墟の中から紅型を蘇らせた方だと知りました。
見れば見るほど諦めきれない着物で、買えないけど見るだけでもと気がついたら呉服屋さんに3ヶ月通っていました。ニューヨークに引っ越す日が間近にせまった時に、「そんなに好きなら」と、呉服屋さんが大変お勉強してくれて、この着物を手に入れることができました。

城間栄喜さんは、戦後、紅型の材料や昔の裂地さえない中、紅型の裂地を持っている人がいれば、自分の食事の配給と換えてもらい、裂地をもとに配色を思い浮かべ、型紙にできそうな紙(メリケン粉の袋でさえも)集め図案を作り、製作の準備をしていきました。本当に何もないところからの紅型の再出発でした。
泰流社が出している「日本の染織10」の本に、城間栄喜さんが惜しげもなく紅型の作り方を書いています。
そして、他の章には、栄喜さんのもとで働いた人が、「技術的な面で栄喜さんがもし秘密主義をとる自分本位の人だったら今日の隆盛はありません」と語っています。
城間さんの語りが載っていました。
「琉球紅型は、城間家の独占物ではありません。多くの祖先の手でつくりあげられた沖縄人全体の伝統文化の一つです。秘密主義からは真の文化は育ちません。あの敗戦下に私が考えたこと、しなければならなかったことは、紅型の再現ではなくて、復興なんです。復活です。往時のように復活させるには、紅型の伝統技法が正しく長く継承されていく土壌をつくらなくてはなりません。それには、紅型作家は多ければ多いほどいいんです。なかには粗悪品をつくる人間もでてくるでしょうが、優秀な作家も生まれます。その人たちが、琉球紅型をよりよく発展させ、ひいては、また新たな沖縄文化の花をさかせてくれる、私は、そう信じたいのです。」

栄喜さんの計り知れないほどの情熱の中で復活した紅型に、今、私はこのような素晴らしい着物に出会えているのだと心から思います。

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